【国際文学館ブッククラブ Vol.3】 中川ヨウ「音楽と生きて―時代・ジェンダーの動きと共に」(2025/12/1)レポート

国際文学館副館長 佐久間由梨

 

早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)で2025年12月1日、ブッククラブ「音楽と生きて――時代・ジェンダーの動きとともに」が開催され、音楽評論家・ジャズ研究者の中川ヨウ先生がご登壇されました。

1954年に東京に生まれ、ジャズのスタイルとジェンダーの価値観が大きく変わった時代を「音楽と生きて」こられた中川ヨウさん。音楽業界のなかでもとりわけ、ジャズ批評は男性ばかりの世界でした。そんな中、中川さんは2008年に『ジャズに生きた女たち』(平凡社新書)を出版し、アメリカの女性歌手・奏者や日本人女性ピアニスト秋吉敏子にスポットを当てました。

アメリカでは、2010年代中頃からのBLM運動および#MeToo運動を経て、男性奏者に比べて正当な評価を受けてこなかった女性ジャズ奏者たちに光が当たり、彼女たちの作品を再評価する動きが広がっています。ジャズ研究やジャズ・ジャーナリズムでも、徐々に女性の研究者や書き手が活躍するようになりました。

『ジャズに生きた女たち』が出版されたのは今から17年も前のこと。当時すでに、中川さんがこうした今日の動向――ジャズの女性に光が当たる未来――を先取りされていたことに、私はずっと驚きと深い敬意を抱いてきました。

国連が「国際女性デー」を制定してから50周年という節目の年を記念する「女性ジャズフェスティバル」の企画に着手したとき、私は誰よりもまず、学生時代から憧れていた中川さんにお話しいただきたいと思いました。

中川さんはご講演で、困難に直面しながらも音楽への愛を失うことなく、未来を向いて歩み続けてきたご自身のライフヒストリーを、ジャズとジェンダーの歴史と重ね合わせながら語ってくださいました。デューク・エリントン、ビリー・ホリデイ、クインシー・ジョーンズ、キャンディー・ダルファー、パット・メセニーから、アニメーション映画『竜とそばかすの姫』の主題歌、さらにAIとの共作によるホリー・ハーンドンの楽曲が流れるなか、中川さんが率直に語ってくださったご自身の人生は、聴衆の心を揺さぶるものでした。

以下、ご講演の内容を要約してご紹介いたします。
 


 

昭和30年代、中川さんのお父様は、社会福祉法人の児童養護施設を運営し、そこで孤児たちのブラスバンドを結成していました。孤児たちが音楽により自信をつけていく様子を間近で見ながら育った中川さんは、音楽は楽しい、音楽はみなを元気にできるという想いを抱くようになりました。

8歳の時にお母様を亡くされ、ほどなく父親が再婚すると、家庭環境が変わり辛い日々が訪れました。そんな中川さんを支えたのが、音楽と文学でした。怒りを代弁してくれるようなジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン、そしてジャズ歌手ビリー・ホリデイも聴くようになりました。「世の中の悲しみの全てを込めたような声を持つホリデイ。そんなホリデイを好きだと言うことは、自分にトラウマがあると告白しているようなもの」と振り返る中川さん。

20歳で結婚し、4年後に離婚。1978年、24歳の時に、来日中のニューヨークオールスターズへのインタビューを依頼されたことをきっかけに、本格的にジャズ批評の道に入りました。当時、女性音楽批評家の前例はほとんどおらず、ロールモデルの不在やセクハラなど、困難にも直面しました。それでも、海外のミュージシャンたちは、ジャズ批評で生計を立てようと奮闘する中川さんをインタビュアーに選び、支え続けてくれたといいます。

講演では、時代と音楽の変化についても話が広がりました。1960年代のアメリカでは公民権運動がマイノリティや女性の権利意識を高め、反戦運動が若者を動かしていました。同時期、エレキギターやビートルズの登場により音楽シーンも変わりました。1980年代後半になると、ベルリンの壁崩壊を予兆するかのように、音楽のジャンル・国籍・世代・アコースティック/エレクトリックといった境界が次々と取り払われていくようになりました。

ジャズ界におけるジェンダーの価値観にも変化が訪れます。「女性にふさわしい楽器」という固定観念を覆すかのように、テリ・リン・キャリントンやミシェル・ンデゲオチェロがドラムやベースを演奏しました。日本でもキャンディー・ダルファーに憧れてサックスを始める女性が増えたと中川さんは語ります。

そして21世紀、グローバル化と同時に超ローカルなアイデンティティを持つ音楽が台頭していきます。『竜とそばかすの姫』のような質の高いアニメが生まれ、ジャズ作曲家の挾間美帆氏がその主題歌を自らのオーケストラで演奏するなど、かつて存在していたサブカルチャーと芸術のあいだの境界も超えられていきました。

講演の締めくくりは、AI時代の音楽創造についてです。AIと共作したホリー・ハーンドンの近未来的なサウンドが会場に響く中、AIやベーシックインカムの導入により時間的余裕を持った人々が芸術を活性化させていくという未来のヴィジョンに、聴衆たちも想像力を膨らませました。
 


 

ご講演を通して、中川さんが音楽評論家として歩んでこられた時代が、音楽のスタイルやジェンダーの価値観だけではなく、音楽を取り巻くテクノロジーまでもが大きく変化した時代だったことを実感しました。こうした音楽、価値観、テクノロジーの急激な変化に直面し、戸惑いを覚えた音楽リスナーも少なくなかったことでしょう。

しかし中川さんは、境界や固定観念を超え、未来を切り開こうと変わっていく音楽を、つねにオープンなマインドで肯定し、受け入れます。「私が好きなのは、前に進もうとしている音楽。もしくは、新しいものと何かを混ぜようとしている音楽。何しろ新しいものにトライしている音楽が好きです。」そんな中川さんの言葉が印象に残っています。旧来の音楽批評が、どちらかといえば伝統重視かつ懐古主義的だったこととは対照的に、中川さんは常に未来向きの姿勢で音楽に向き合ってこられました。

境界や固定観念を超えていく音楽に対するオープンな姿勢は、ジェンダー平等を推進する動きとも響き合っているように感じています。性別に基づく役割分担や固定観念を超えて、男性であっても女性であっても、誰もが偏見なく挑戦し、好きな楽器や音楽ジャンルを演奏し、好きなことを職業にすることが肯定される──そのような未来を、中川さんの音楽批評は先取りしていたように感じるのです。

「女性が音楽を語る」という前例を作り、女性も音楽評論に挑戦できるという可能性を、私自身を含む次の世代に示してくださった中川さん、改めて素晴らしいご講演をどうもありがとうございました。


中川ヨウ
ジャズを核に活動する、音楽評論家/ジャズ研究者。慶應義塾大学アート・センター【拡張するジャズ】公開研究会をホームに、学生、一般のジャズ愛好家とジャズについての考察を続けています。洗足学園音楽大学名誉教授、デジタルハリウッド大学客員教授、ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。著書に『ジャズに生きた女たち』(平凡社新書、2008年)など。


【開催概要】
・開催日時:2025年12月1日(水)18時30分~20時
・会場:早稲田大学国際文学館 地下1階
・主催:早稲田大学国際文学館

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